交子はなぜ最終的に価値を下げ、流通から姿を消したのか?

交子はなぜ最終的に価値を下げ、流通から姿を消したのか?

交子(こうし)は世界で初めて使われた紙のおカネです。11世紀のはじめ、中国の北宋時代に四川省で、商人たちが重くて持ち運びにくい鉄銭のかわりに、自分で証文を出してやりとりしていました。それが後に国が管理する「官交子」となり、正式なおカネになりましたが、その新しいシステムはやがて信用をなくして、人々の間から姿を消すことになります。

戦費のために紙幣をどんどん刷りすぎて物価が上がった

交子が価値をなくしたいちばんの理由は、国が戦争にお金を使うために紙幣を出しすぎたことです。北宋の政府は西夏との戦いや国内の反乱を鎮めるために軍費が必要になり、そのたびに交子を大量に印刷しました。

最初のうちは、交子1枚につき一定の金属貨幣を用意していて、みんながそれを信じていましたが、戦費が足りなくなると裏付けのない紙幣を次々と作るようになり、市場に出回る量が急激に増えたため、すぐに価値が下がって「ただの紙と同じ」と言われるほどになりました。これは現代のジンバブエやドイツで起きたハイパーインフレととてもよく似ています。

決まりごとが守られなくなって信頼がなくなった

北宋の政府は、交子をうまく使うために最初、いくつかのルールを決めていました。

たとえば、交子には2〜3年の有効期間をつけて古いものは新しいものと取り替える「界(かい)」という制度があり、一度に発行できる量も約125万貫までと上限を設けていて、さらに交子を見せればいつでも金属貨幣に換えられるようにしていました。

しかし、国のお財布が厳しくなると、これらの決まりを守らなくなり、担保もないまま好きなだけ紙幣を刷るようになったため、人々の信頼は完全に失われました。

新しい紙幣「銭引(せんいん)」に変えても結局同じことになった

交子の信用がなくなってきたため、北宋政府は1107年(徽宗の大観元年)に交子をやめて、「銭引」という新しい紙幣を出しました。

銭引は最初、四川地方だけで使われ、交子の失敗をふまえて作られましたが、結局また同じことを繰り返してしまい、銭引も出しすぎたことで価値がどんどん下がっていきました。

つまり、交子の失敗は単なるミスではなく、政府がお金の使い方のルールを守らなかったことが根本的な原因でした。

結論

交子は「世界で最初の紙幣」として有名ですが、その終わり方は私たちに大切なことを教えてくれます。

お金の価値は、出しすぎないこととしっかりとした裏づけによって保たれるものであり、政治や戦争のために勝手に刷りすぎると経済全体が壊れてしまいます。どんなに良いルールでも、それを守らなければ意味がありません。