南宋の海上シルクロードはなぜこれほど発展したのか?

南宋の海上シルクロードはなぜこれほど発展したのか?

中国の歴史の中で、南宋(1127–1279年)は「海に活路を求めた」時代としてよく知られています。北の戦乱によって陸を通る交易路が使えなくなったため、南宋は東南アジアからアラビア半島、さらにアフリカ東岸まで広がる海を使って、それまでにないほどの貿易網を築き上げました。

1. 陸の道が途切れて、国が海に頼るようになった

北宋が滅んだあと、金の軍勢に追われて南宋は江南地方に移ることを余儀なくされました。その結果、昔から使われていた西域方面への陸上ルートは完全に使えなくなりました。国の運営にお金が必要だったため、南宋の政府は海を使った商売を本格的に進めることにしました。宋高宗は「市舶のもうけはとても大きい。うまくやれば百万貫もの収入になる」と言い、港で集まる関税(市舶収入)を国の大事な財源と位置づけました。

2. 市舶司制度:世界でいちばん早い「港の管理システム」

南宋は広州(今の広東省)、泉州(福建省)、明州(今の寧波)といった大きな港に「市舶司(しはくし)」という役所を置きました。これは今の税関や貿易管理機関に似たもので、外国の船が出入りするのを管理したり、輸入品に税をかけたり、高い値段の商品を国が買い取ったり、外国の商人の滞在を整えたりする仕事をしていました。

特に泉州は「刺桐港」として有名で、13世紀には世界最大の港となり、そこに住むアラブやペルシアの商人も非常に多かったのです。

3. 当時、世界でもっとも進んでいた船と航海の技術

南宋の船づくりや航海の方法は、当時の世界で最も優れていました。船の中を水密の区画に分けることで、一部が水につかっても沈まないようにする工夫があり、600~800トン級の大型の福船は遠く離れた海まで安全に行き来できました。また、羅針盤が実用化されたおかげで、曇った日や夜でも正しい方向に進むことができ、夏は南西の季節風に乗って南へ向かい、冬は北東の風を利用して帰ってくるというように、風の流れをうまく利用していました。

これらの新しい技術のおかげで、船での行き来は以前よりずっと安全で効率的になったのです。

4. 主に売ったものと取引していた国々

南宋が海外に送った主な品物には、青白磁や龍泉窯の青磁といった磁器がありました。これらは後に「チャイナ(China)」という言葉の由来にもなりました。他にも絹の布が伝統的な輸出品でしたが、南宋の時代になると磁器の方が多く売られるようになりました。そのほか、銅銭や鉄製の道具、書物なども海外に運ばれました。

一方で、南宋は外国からコショウやチョウジ、竜涎香などの香料、薬になる材料、象牙、真珠などを手に入れました。日本や高麗からは硫黄や人参も輸入していました。こうした取引は50以上の国・地域と行われ、日本とは博多(福岡)や敦賀(福井)を中心に「宋日貿易」と呼ばれる活発なやりとりが行われていました。

5. 日本との交流と文化への影響

南宋の時代に日中間の貿易は平安時代の終わりから鎌倉時代の前半にかけて最も盛んになりました。平氏の政権は宋の船との取引で大きな富を手に入れました。また、禅の僧侶や知識人が宋の船に乗って日本に渡り、仏教や儒教、建築、美術などさまざまな分野に強い影響を与えました。今でも日本語に残っている「唐宋音」も、そのころの交流がもたらしたものだと考えられています。