
李斯(りし)は、中国で初めて一つの国になった「秦」を築いた秦始皇(しんしこう)にとってとても大切な政治家だった。もし彼がいなかったら、六つの国をまとめて一つにするのは難しかっただろう。
1. 李斯とは? ― 出身と考え方
李斯(生年不明~紀元前208年)は戦国時代の終わりごろ、楚国(そこく)で生まれた。儒学者の荀子(じゅんし)に学んだあと、法家という考え方を身につけた。法家とは、「国はしっかりしたルールと強い力で治めるべきだ」という考えで、当時の秦国は世の中を整えるための現実的なやり方としてこれを取り入れていた。
李斯は、「人間の価値はその人がいる場所で決まる」という“ねずみの話”に影響されて、出世するために秦国へ向かった。
2. 六国をまとめるためにしたこと
(1)『諫逐客書』で追放を免れ、信頼を得る
紀元前237年、秦王政(後の秦始皇)は外国出身の役人を全員追い出す「逐客令(ちくきゃくれい)」を出したが、李斯もその中に含まれていた。しかし彼は『諫逐客書(かんちくきゃくしょ)』という文書を書いて、この命令が間違いだと伝えたところ、秦王はすぐに命令を取り下げて、李斯を大事に使うようになった。
(2)外交を使って六国をバラバラにする
李斯は、お金と策略で六国の王とその家来たちを仲違いさせる方法を提案し、スパイやうまく話せる人を各国に送って協力を邪魔させた。この「遠交近攻(えんこうきんこう)」というやり方によって、秦は近くの国を順番に攻めやすくなった。
(3)国を一つにまとめる制度を作る
紀元前221年に六国を全部倒して中国を一つにしたあと、李斯は丞相(じょうしょう=一番高い役職)として次のような制度を進めた:
- 郡県制(ぐんけんせい)を全国に広げる:昔の領主による支配をやめて、中央から直接国を治めるようにした。
- 書同文(しょどうぶん):小篆(しょうてん)という字を全国共通の文字として決めた。
- 車同軌(しゃどうき):馬車の車輪の幅を同じにして、道を走りやすくした。
- 度量衡をそろえる:長さ・重さ・容積の単位を全国で同じにした。
- 私的な勉強を禁止し、本を燃やす:反対意見が出ないようにするためだったが、後になって多くの人に批判された。
これらのルールは、広い国を短い時間で一つの国として動かすために必要だった。
3. 評価と最後:偉かったけれど悲しい最期
李斯は秦の国を強くするのに大きな役割を果たしたが、秦始皇が亡くなったあと、宦官の趙高(ちょうこう)との争いに負けて、紀元前208年に腰斬(ようざん)という刑で殺され、家族もみな殺された。
だが、李斯が作った中央からの強い支配・役人の仕組み・文字の統一といった制度は、その後の漢の時代から約2000年続く中国の基本となり、東アジア全体にも影響を与えた。
まとめ:李斯がいなければ秦は六国をまとめられなかっただろう
李斯はただの補佐役ではなく、作戦を考えたり制度を整えたり、国のあるべき姿を示したりする中心人物として、秦始皇の夢を現実に変えた。彼のしっかりとした考え方と国を一つにするやり方は、今の国の作り方にも役立つヒントになっている。

