兵馬俑は本当に秦始皇の地下軍団を完全に表しているのか?

兵馬俑は本当に秦始皇の地下軍団を完全に表しているのか?

「世界第八大奇跡」とよく呼ばれる兵馬俑は、秦始皇陵から東に約1.5キロ離れたところにあるお墓の一部です。しかし、考古学の調べものによると、一号・二号・三号の坑に並んでいるおよそ8,000体の土でできた兵士や馬は、秦の皇帝が思い描いた「地下の軍団」のごく一部にすぎないかもしれません。

兵馬俑はどんなふうにできているか、そして何のためにあるのか

兵馬俑は1974年にたまたま見つかりました。主に三つの大きな穴(坑)に分かれていて、それぞれ違う役割を持っています。一号坑は面積が約14,260平方メートルもあり、6,000体以上の歩兵の人形がきちんと整列していて、軍の主力だったと考えられています。二号坑は約6,000平方メートルで、騎馬や戦車、弓を使う兵士など、いろいろな種類の兵士が混ざった特別部隊のようなものです。三号坑はもっと小さくて、将軍の像や儀式用の武器が出てきたことから、ここは指揮をとる場所だったと思われます。これら三つの坑は、秦の都にあった実際の軍隊の並び方をそのまま再現するために、陵の外郭城の東門の近くに「品」の字になるように置かれています。

なぜ「全部ではない」と言われるのか

1. お墓全体と比べるととても小さい

秦始皇陵の広さは約56平方キロメートル(東京ディズニーランド110個分くらい)もありますが、兵馬俑の坑は全部合わせても2万平方メートルちょっとしかありません。これは陵全体のわずか0.04%にも満たないほどの小さな部分です。

2. ほかにもいろいろな埋めものがある

兵馬俑以外にも、皇帝のお墓の周りにはたくさんの別の埋葬場所があります。たとえば、青銅でできた馬車と運転手の像が入った「銅車馬坑」や、石で作った鎧や兜が何千も出てきた「石甲胄坑」、曲芸師や楽器を演奏する人をかたどった「百戯俑坑」、さらには青銅の水鳥などが並んだ「珍禽異獣坑」などです。これらはすべて、「死んでも生きているときと同じ暮らしを続ける」という秦始皇の考えに基づいて作られており、軍隊だけでなく宮廷での生活全体を地下で再現しようとした証拠です。

3. 古い記録と合わない点がある

中国の古い歴史書『史記』には、「宮殿や役所、珍しい宝物をすべて中に入れた」と書かれていますが、兵馬俑についてはまったく触れられていません。このことは、兵馬俑が陵の中ではそれほど中心的な存在ではなかった可能性を示しています。

まだ調べられていない場所と今後の見通し

今も、秦始皇陵の真ん中にある地下の宮殿(地宮)は一切掘られていません。その理由はいくつかあります。まず、地中から水銀の値が非常に高いことが確認されており、これは『史記』に「水銀で川を作った」とある記述とぴったり合います。次に、色がついた陶俑は空気に触れるとすぐに色があせてしまうため、今の技術ではうまく守ることができません。さらに、国際的にも「無理に掘らずに、まずは守ることを優先しよう」という合意があります。そのため、専門家の多くは、地宮の周りにもっと多くの埋葬の穴が眠っていると考えています。特に、陵の西側や北側には、まだしっかり調査されていない広い土地が残っています。

結論

兵馬俑は秦の国の強さや統治の考え方をよく表している代表的な遺跡です。しかし、それは秦始皇が夢見た「地下の国」のごく一部でしかありません。