
中華歴史ドラマや本などでよく見かける「宰相(さいしょう)」と「丞相(じょうしょう)」という言葉を同じ意味だと思っている人がたくさんいますが。
「宰相」と「丞相」の本当の違いとは
まず最初に両方の言葉の意味をはっきり分けて理解しておくことが大切で、以下の表のように整理できます。
| 用語 | 種類 | くわしい説明 |
|---|---|---|
| 宰相 | 一般的な尊称 | 君主をサポートする行政の最高責任者を指す「役割を表す言葉」や「敬意を込めた呼び方」であり、遼という王朝を除いて制度上の正式な名前ではありません。 |
| 丞相 | 具体的な役職名 | 秦や漢などの時代に実際にあったポストの一つで、「宰相」のような仕事をするたくさんの役職の中のただ一つにすぎません。 |
つまり丞相が宰相の仕事をすることはよくありますがイコールではなく、唐朝の「同平章事」や明朝の「内閣大学士」も実質的には宰相と同じ仕事をしていますが、彼らの正式な肩書きは丞相ではないのです。
ポイント: 「宰」にはまとめることや管理すること、「相」には助けるという意味があるため、宰相というのは「天子を助けて国の政治を全体的に取り仕切る人」という役割を表す言葉であって、特定の席やポストを指す言葉ではないということを覚えておきましょう。
【時代別】実際の宰相にあたる役職名のリスト
中国の歴史の中では行政トップにあたる役職が何十種類もあるので、主な王朝ごとにその名前がどう変わっていったかをまとめました。
1. 先秦から秦漢まで:丞相という仕組みができるまで
- 商周時代: 太宰(たいさい)、尹(いん)、太師といった名前が使われていました。
- 春秋戦国時代: 相(しょう)や相邦(そうほう)と呼ばれ、管仲や蔺相如などがこの役に就きました。
- 秦および前漢: 紀元前309年に初めて設置された丞相(じょうしょう)が使われ、左と右に分けられることもありました。
- 後漢期: 大司徒(だいしと)や尚書令(しょうしょれい)がトップとなり、曹操たちが名乗った「丞相」は末期の一時的な復活にすぎませんでした。
2. 魏晋南北朝から隋唐へ:複数の部署で分担する形へ
この時期になると権力が一人に集中しないように分けられ、一つのポストではなく複数の人が仕事を分担する形に変わっていきました。
- 魏晋南北朝: 中書監(ちゅうしょかん)、中書令(ちゅうしょれい)、侍中(じちゅう)などがその役割を果たしました。
- 唐初期: 尚書令、中書令、侍中の三つの長官が宰相として機能しました。
- 唐中期以降: 同中書門下平章事(どうちゅうしょもんかへいしょうじ)、略して「同平章事」と呼ばれる役職が事実上の宰相の代名詞となりました。
3. 宋から元へ:さらに細かく分けられた権限
- 北宋: 同平章事がトップで、参知政事はそれに次ぐ立場でした。
- 南宋: 最初は尚書左僕射・同平章事でしたが、あとから「丞相」という名前に改められました。
- 元代: 中書省丞相や平章政事がその役割を担いました。
4. 明清時代:制度がなくなり秘書組織が代わりに働くように
明の太祖である朱元璋が胡惟庸の乱をきっかけにして丞相を永久になくしてしまったため、それ以降は皇帝の直属の秘書組織が実際の政治を取り仕切るようになりました。
- 明代: 内閣大学士(ないかくだいがくし)の中でも特に「首輔」と呼ばれた人が実質的なトップとなり、張居正などが有名です。
- 清前期: 内閣大学士や南書房行走がその役割を果たしました。
- 清後期: 雍正帝以降は軍機大臣(くんきだいじん)が最高の意思決定機関として機能しました。
- 清末: 内閣総理大臣という名前になりました。
なぜ役職の名前がずっと変わり続けたのか
それぞれの王朝で行政トップの名前が変わり続けた背景には、皇帝の権力と宰相の権力の間の張り合いがありました。
- 権力の独占を防ぐため: 君主は臣下の力が強くなりすぎることを心配して、尚書台から中書省、内閣、軍機処といった新しい側近部署を作って古い機関を実体のないものに変えていきました。
- 権威が古くなるのを避けるため: ある役職が「宰相」として知られるようになると権威が増してしまうので、もっと下のランクのポストに実際の権力を移すということが何度も繰り返されました。
- 統治の仕組みが発展したため: 三省六部制が整っていくにつれて、個人に頼るやり方から組織みんなで話し合う体制へと成熟していきました。
まとめ:日本での受け入れられ方
日本の律令制の下にあった「太政大臣」や「関白・摂政」は中国的な宰相の考え方の影響を受けていますが、日本で「宰相」が正式な官名として使われることはほとんどなく、あくまで大陸の制度を理解するための漢語として定着しました。





