趙高は本当に太監だったのか?

趙高は本当に太監だったのか?

「趙高=宦官」という考え方は、日本を含む多くの国で広く知られていて、特に「指鹿為馬」のエピソードや秦王朝の崩壊に深く関わった陰謀家として有名なため、多くの作品で「太監」として描かれてきましたが、最近の歴史研究では彼が実際に去勢された宦官ではなかった可能性が高いことが分かってきています。

1. 「趙高=宦官」とされるもとの理由

『史記』には趙高について「趙高者、諸趙疎遠属也。趙高昆弟数人、皆生隠宮。其母被刑戮、世世卑賤。」と書かれており、この中の「隠宮」という言葉が後世になって「宦官が住む場所」と解釈されたため、趙高も去勢された人物だとされてきました。

さらに『史記』の中には趙高を「宦人」や「宦籍あり」と呼ぶ部分もあるので、これまで多くの人が「趙高は宦官だった」と思い込んでいたのです。

2. 誤解の原因:「隠宮」は「隠官」の間違い?

しかし現代の歴史の専門家の多くは、「隠宮」は実は「隠官(いんかん)」の書き間違いではないかと考えており、「隠官」とは秦の時代に罪人が働く官営の作業場のことであり、去勢された人が暮らす場所ではなく罰を受けた人やその家族が労働する場所だったため、「隠宮(隠官)で生まれた」という記録は単に「趙高が罪人の子として生まれた」という意味であって、彼が去勢されていたとは限らないのです。

3. 大きな反証:娘がいたという事実

『史記・李斯列伝』や『史記・秦始皇本紀』には趙高の娘とその夫である閻楽(えんがく)についての記述があり、閻楽は咸陽県令(首都の行政責任者)として趙高が秦二世を殺すときに重要な役割を果たしたため、趙高には本当の娘がいて家族がいたことがはっきりと分かります。

古代中国では去勢された宦官が子どもを持つことはできないので、趙高が太監(去勢された宦官)だったとは考えにくいのです。

4. なぜ「趙高=太監」と思われるようになったのか?

この誤解が広まった理由はいくつかあって、「宦」という言葉が「去勢された人」だけでなく「宮中に仕える役人」全般を指すこともあったことや、漢の時代以降に宦官が政治に関わることが強く批判されたため乱れた政治の象徴として趙高が「悪い太監」として描かれ話がどんどん誇張されていったこと、そして映画やドラマ、小説などの影響で現代でも趙高が「不気味で陰険な宦官」としてよく登場するようになったためこのイメージが広く定着してしまったのです。

5. 結論

全体を見てみると趙高は趙国の遠い親戚にあたる貴族の出身で母親が罪人だったので社会的地位は低かったものの法律に詳しく秦始皇から信頼されており、実の娘がいて家族が史料に記録されていることから去勢されておらずただの「宮中に仕える官僚(宦)」だった可能性が高いとされています。