
成都は昔から「千年の都」と呼ばれていて、その名前はずっと2000年以上も変わっていません。では、「成都」という名前はどこから来たのでしょうか。特に宋の時代に書かれた地理の本『太平寰宇記』には、「周王遷岐」が由来だという話が載っていて、長い間多くの人の注目を集めてきました。
「周王遷岐」説とは?
いちばんよく知られているのは、北宋の時代につくられた『太平寰宇記』(作者:楽史)に書かれている説です:
「蜀の地が『成都』と呼ばれるのは、周の太王が梁山を出て岐下へ移り、1年で村になり、2年で都になったことによる。」
ここで言う「周の太王」とは、周王朝の始まりを作った古公亶父(ここうたんぽ)のことです。『史記』などの古い記録によると、彼は岐山のふもとに新しい土地を開き、ほんの短い間に小さな集落が大きな都市へと発展したとされています。
この内容から、「成都」という言葉は「都になる」という意味を持ち、周王朝の建国に関わる物語に倣って、蜀の中心の町につけられた名前だと考えられてきました。
でも、この説にはいくつかの疑問があります
1. 年代と場所が合わない
古公亶父が岐山に移ったのはおよそ紀元前12世紀ですが、成都がちゃんと都として整えられたのは紀元前5世紀ごろ、つまり古蜀国の開明王朝第9代の時代です。当時、周(今の陝西省)と蜀(今の四川省)は政治的にも文化の面でもほとんどつながりがなく、遠く離れた別々の地域でした。
2. 考古学の発見と食い違う
戦国時代の青銅製の矛である「成都矛」(紀元前4世紀ごろのもの)には、すでに「成都」という文字がはっきりと彫られています。これは『太平寰宇記』が書かれるよりも1000年以上も前の実物であり、「周王遷岐」説が後から作られた話であることを強く示しています。
ほかにも「成都」の名前のルーツに関する説があります
説①:古蜀語がもとになっているという説
「成」は古蜀の人たちの自分たちの呼び名(高原に住んでいた民族)で、「都」は「土地」や「暮らす場所」を表します。そのため、「成都」は「成族が住んでいる土地」という意味になります。
説②:「蜀都」の音を漢字で書いただけという説
古代の蜀の言葉では「蜀都」を「ドゥドゥ」と発音していたかもしれません。中原の漢人がその音を聞いて、「成都」という漢字を当てたという考え方です。「成」には「完成」や「最後」といった意味もあるので、「蜀の最後の都」と解釈されることもあります。
説③:暮らし方や地形に由来するという説
「成」は高床式の家(巣居)を表す字で、「都」は人が集まる場所を指します。そのため、「成都」は「巣居する人たちが集まって暮らす場所」という意味になるという説もあります。
結論
今の研究の多くでは、『太平寰宇記』に書かれた「周王遷岐」が由来だという話は、中原を中心とする歴史の見方に基づいて後から作られた解釈だとされています。実際の「成都」という名前は、古蜀文明独自の言葉や文化から生まれたもので、周王朝の建国伝説とは直接関係がないとみられています。
ただ、この説が広まった背景には、中原の文化とつながっていることを強調したいという、古代中国の政治的な意図があった可能性もあります。





