
墨子(もくし)は、紀元前5世紀ごろの中国・戦国時代に生きた思想家で、「みんなを平等に愛そう」という「兼愛(けんあい)」と、「むやみに戦争を起こすな」という「非攻(ひこう)」を教えた墨家(もっか)という学びのグループの始まりの人です。彼が実際に動いて、強い国・楚(そ)が弱い国・宋(そう)を攻めるのを止めた話は、『墨子・公輸(こうゆ)』という章に書かれています。
1. 背景:楚が宋を狙った理由と「雲梯(うんてい)」という新しい兵器
当時の楚は、南の地域でいちばん力のある国で、どんどん勢力を広げていました。それに対して宋はとても小さな国で、軍の力も弱かったため、楚の攻撃目標になりました。特に注目されたのは、楚の王が有名な大工・公輸般(こうゆはん/魯班〈ろはん〉とも呼ばれる)に作らせた「雲梯(うんてい)」という新しい攻めの道具でした。
- 雲梯は高さ十数メートルもある動くはしごで、城の壁を乗り越えるために作られた画期的な武器でした。
- 楚の王はこれを使えば宋の都を簡単に落とせると考えて、出兵を決めました。
2. 墨子の行動:10日10夜かけて走り、三つの段階で説得した
墨子はこの話を聞くとすぐに動き出しました。弟子たちには宋の守りをしっかりさせるよう指示し、自分は粗末な服と草鞋(ぞうり)を履いて楚の都・郢(えい)へ向かいました。およそ1,000キロもある道のりを、10日と10夜かけて歩き続け、やっとのことで到着しました。
ステップ①:公輸般と話し合い、矛盾を指摘する
まず墨子は公輸般に会って、「あなたは正しいことを大事にして、無駄な殺しを嫌うと言っているのに、どうして宋を攻めるための雲梯を作ったのですか?」と聞きました。
公輸般は「もう楚王に約束してしまったので、引き返せません」と答えました。すると墨子は、「では、もし私が貴方に誰かを殺すように頼んだら、どうしますか?」と尋ねました。公輸般は「そんなことはできません」と言いました。そこで墨子はすぐこう言いました:
「宋には悪いところはありません。楚は十分に豊かです。それを攻めることは、立派な馬車を持っている人が隣の人の粗末な車を盗もうとするのと同じです。これは“盗癖(とうへき)”だと思いませんか?」
この言い方に公輸般は何も言えなくなり、墨子を楚王に会わせることにしました。
ステップ②:楚王にも同じように説明する
墨子は楚王にも同じような例えを使って話しました:
- 楚は広くて、動物や魚など資源がたくさんある。
- 宋は狭くて、何もない土地だ。
「こんなに大きい国が小さい国を攻めるのは、豪邸に住んでいる人が隣のボロ小屋を奪おうとするようなものです。これは筋が通っていません。」
楚王は一応納得しましたが、「でも、公輸般が雲梯を作ってしまったから、攻めるしかない」と言い張りました。
ステップ③:帯と木切れで模擬戦を行い、実力を示す
そこで墨子は、自分の腰の帯を城壁に見立てて、小さな木片を武器にして、攻めと守りの練習戦を始めました。公輸般が9回も攻め方を変えましたが、墨子はすべてを見事に防ぎきりました。
さらに墨子はこう付け加えました:
「私の弟子・禽滑釐(きんこつり)たち300人がすでに宋の城に着いて、私の教えに従って守りを固めています。たとえ私を殺しても、宋は落ちません。」
この技術の差と準備の確かさを見て、楚王はついに攻撃をやめることに決めました。
3. 今に通じる意味:力を使わずに争いを避ける方法の先駆け
墨子のやり方は、ただの夢物語ではありませんでした。情報を集めて、論理的に話し、技術で抑え込み、仲間をうまく動かす——この四つを組み合わせた、とても現実的な平和活動でした。








