
「丞相(じょうしょう)」というのは、昔の中国で皇帝を支えるいちばん偉い役人のことでした。この記事では、「丞相という制度はどの時代からできたのか?」という疑問を中心に、それがどう始まって、どんな役割を果たし、あとでどう変わっていったかを、わかりやすくまとめています。
はじまりは戦国時代の秦にある
正式な役職としての丞相制度は、戦国時代(紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろ)の秦国で初めて作られました。特に秦武王が即位して2年目の紀元前309年に、左丞相と右丞相という二人の役人が置かれたのが、はっきりした出発点とされています。
- 最初に左丞相になったのは樗里疾(しょりしゅう)
- 最初の右丞相は甘茂(かんもう)でした
この制度ができることで、それまで家柄だけで決まっていた貴族による政治から、実力のある人が選ばれる役人中心の政治へと大きく変わり始めました。
秦から漢へ:制度が広がって定着する
秦が中国全土を統一した後も、丞相制度はそのまま使われ続け、李斯(りし)のような有名な丞相が活躍しました。
その後の漢王朝(紀元前202年から西暦220年)でも、秦のやり方を引き継いで丞相を置いており、建国時に蕭何(しょうか)がその役を務めました。やがて「相国」というさらに上位のポストも登場し、景帝の時代には地方の王国にも丞相が置かれましたが、のちに「相」という名前に変えられました。
丞相と宰相:よく似ているけど違う
この二つはよく混同されますが、意味は違います。
- 丞相は、秦や漢の時代に実際に使われていた役職の名前です
- 宰相は、皇帝を助ける最高責任者のことを広く指す言葉で、唐や宋の時代の高官もこれに含まれます
つまり、丞相は宰相の一種ではありますが、宰相と呼ばれる人すべてが丞相だったわけではありません。
明の時代に制度がなくなる:胡惟庸の事件がきっかけ
1380年、明の初代皇帝・朱元璋は丞相という役職を完全にやめさせました。その直接の理由は、当時の丞相だった胡惟庸(こいゆう)が反乱を計画していたという事件でした。
彼は中書省といっしょに丞相職を廃止し、自分自身が直接国政を動かすようになりました。これによって、皇帝の権力がもっとも強くなる専制政治が完成しました。
この出来事をもって、およそ1700年間続いた丞相制度は終わりを告げました。
まとめ
丞相制度は戦国時代の秦で生まれ、秦や漢の時代に整えられ、明の初めまで長く続きました。その歩みは、中国で政治の力が中央に集まり、皇帝ひとりの支配がどんどん強くなっていく様子をよく表しています。








