
中国古代の役所の仕組みとして有名な「三省六部制」は、制度としてきちんとできたのが「隋」の時代 で、その後の「唐」の時代に今の形に仕上がりましたが、もともとの始まりは漢の時代から魏晋南北朝という長い期間の変化の中にあるので。
大事なポイント:隋で生まれて唐で整った役所の仕組み
三省六部制がいつできたかについては、次の二つの段階で考えるのが学問的に正しいとされています。
- 仕組みを作った時(始まり): 隋(581年〜618年)
- 機能が揃って定着した時: 唐(618年〜907年)
- 前の段階・芽生え: 漢〜魏晋南北朝の時代
ただ「どの王朝か」と聞かれたら 「隋」 と答えるのが正解ですが、歴史の流れをしっかり理解するためには、前にあった時代の動きも知っておく必要があります。
【前の歴史】漢から魏晋南北朝:役所が分かれていった兆し
隋の時代に急にこの仕組みが現れたわけではなく、中央に権力を集める仕組みが長く変わっていったことが、三省六部制が生まれる土台になったのです。
1. 漢の時代に尚書台の力が強くなったこと
秦や前漢の頃は三公九卿制が中心でしたが、天皇の秘書役だった「尚書」の力がだんだん強くなっていき、後漢の頃には「尚書台」が行政の本当の中心に成長して、これが後の尚書省や六部の元になりました。
2. 魏晋南北朝の時代に三つの省に分かれたこと
魏の文帝(曹丕)は尚書台に権力が集まりすぎるのを防ぐために「中書省」を新しく作って詔勅の草案を書かせるようにし、さらに東晋以降は「門下省」が命令をチェックする機関として働き始めました。 こうして南北朝の時代には「中書・門下・尚書」の三つの機関が揃い、隋が統一した制度を作るための準備が整いました。
【確立】隋の文帝が行った大きな改革
581年に隋を建国した文帝(楊堅)は、南北の分裂が終わったことを受けて、新しく統一された国にふさわしい中央の役所の仕組みとして三省六部制を正式に導入しました。
隋の時代での仕組みの特徴
- 古い制度の整理: 北周の五省六曹制などをまとめて整理し、中書省(当時は内史省)、門下省、尚書省の役割をはっきりさせました。
- 六部の配置: 尚書省の下に吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部を置いて、行政の仕事を専門に分けました。
- 宰相の権限の分散: 一人の宰相が全てを決める仕組みから、三つの省の長官が話し合う集団宰相制に変えて、天皇の権力を強めようとしました。
文帝の改革によって、それまではっきりしなかった各機関の役割が「草案を作る・チェックする・実行する」という形で体系的に整えられたのです。
【完成】唐の時代での全盛期
隋の仕組みを引き継いだ唐は、太宗(李世民)の治世に三省六部制を完成させましたが、唐の制度は次のような点でより細かく整えられています。
厳密な役割分担とお互いのチェック
| 機関 | 仕事の内容 | 現代の似たようなもの |
|---|---|---|
| 中書省 | 詔勅や政策の立案 | 立法・企画 |
| 門下省 | 命令のチェック・封駁(差し戻し) | 監査・確認 |
| 尚書省 | 政令の実行(六部をまとめる) | 行政の実務 |
特に大事なのが門下省の「封駁権」で、天皇や中書省が決めたことでも、おかしいと思えば差し戻すことができ、独断的な政治決定を防ぐ安全装置として働きました。
六部の仕事の固定
唐の時代に、吏部(人事)、戸部(財政・戸籍)、礼部(儀式・科挙)、兵部(軍事)、刑部(司法)、工部(土木・建設)の担当範囲が完全に決まり、その後清末まで約1300年間続く行政組織の基本の形になりました。
まとめ:三省六部制の歴史的な価値
三省六部制は 「隋で作られ、唐で完成した」 中国古代の役所の仕組みの最高傑作です。
- 源流: 漢の時代の尚書台と魏晋南北朝の三つの省への分立
- 確立: 隋の文帝による中央の役所の大改革
- 完成: 唐での役割分担とお互いのチェック機能の完備
この仕組みは日本(律令制)や朝鮮半島、ベトナムなど東アジアの国々にも大きな影響を与え、「どの朝代か」という事実だけでなく、なぜこのシステムが生まれ、どうやって機能的な完成形に進化したのかという過程こそが、三省六部制を理解する上で一番大切な視点だと言えます。








