後蜀は五代十国の乱世の中でどのようにして建国されたのか?

後蜀は五代十国の乱世の中でどのようにして建国されたのか?

中国の歴史で一番バラバラになっていて、戦いが多かった時代の一つが五代十国(907年~979年)です。その中でも、四川盆地を中心とした「蜀」と呼ばれる地域は、山や川に囲まれていたおかげで、自分たちだけで国をつくることができました。

後蜀ってどんな国?基本の情報

  • できた年:934年
  • 終わった年:965年(北宋にのっとられた)
  • 都だった場所:成都(今の四川省成都市)
  • 最初の王:孟知祥(もう ちしょう/874年~934年)
  • 王になった人の数:2人(孟知祥 → 孟昶)
  • 治めていた場所:今の四川省のほとんどと、甘粛省の南東、陝西省の南西、湖北省の西の一部

国ができる前の話:前蜀がなくなって後唐が入ってきた

925年、中原を治めていた後唐が前蜀を攻めて、その国を滅ぼしました。その後、後唐の皇帝・李存勖(り そんしゅく)は、自分の親せきである孟知祥を成都に送り、西川節度使という役職につけました。
孟知祥は、晋王・李克用の義理の甥(弟の娘の夫)で、後唐の中でもとても信頼されていました。

自分の国を作ろうとする動き

孟知祥はもともと後唐の役人として成都に来たのですが、だんだん自分だけで国を治めたいと思うようになっていきました。

  • 930年には後唐からの命令を無視して、反乱を起こしました。
  • 933年には東川も手に入れ、「両川」(西川と東川)全体を自分の支配下に置きました。
  • 同じ年に、後唐の明宗から「蜀王」と呼ばれるようになりました。

この時点で、孟知祥は実際にはもう独立していたといっていいでしょう。

後蜀のはじまり:934年に王になる

934年1月(閏正月)、孟知祥は成都で正式に王となり、「」という名前で国を建てました。後に「後蜀」と呼ばれるこの国は、「明徳」という元号を使い始めました。

しかし建国からわずか7か月後に孟知祥は亡くなり、そのあとを息子の孟昶(もう ちょう)が引き継ぎました。

後蜀の様子と評価

後蜀は戦が少なく、五代十国の中でもわりと平和に国が治められました。農業や水路の整備が進んだおかげで、暮らしもよくなりました。また、詩や絵といった文化もさかんで、「芙蓉の都」として知られる成都の街並みもこの時代につくられました。

最後はどうなった?北宋にのっとられる

964年、宋の初代皇帝・趙匡胤が後蜀を攻め始めました。翌年の965年には孟昶が降参し、後蜀は32年で終わりを迎えました。

まとめ:大変な時代にできた平和な国

後蜀は、五代十国というとても不安定な時代に、短い期間でしたが平和で豊かな国として知られています。その成立は、孟知祥という人の力によるもので、中国の西南部の歴史においてとても大切な存在でした。