
中国の五代十国時代(907年~979年)は、中央の力が弱まって地方に小さな国がたくさんできた混乱した時期でしたが、その中でも四川省の中心である成都を都にした「前蜀」と「後蜀」は、同じ地域に次々と生まれたにもかかわらず、指導者や国を作ったきっかけ、政治の進め方、そして滅びた理由などがはっきりと違っています。
1. 国ができた時期と指導者のもといた場所
| 項目 | 前蜀 | 後蜀 |
|---|---|---|
| 成立年 | 907年 | 934年 |
| 創始者 | 王建(おうけん) | 孟知祥(もう ちしょう) |
| 背景 | 唐の終わりごろの地方軍の指揮官(忠武軍節度使) | 後唐につかえていた将軍(李克用の部下) |
- 前蜀は、唐が崩れた直後に王建が自分だけで国を立てました。
- 後蜀は、前蜀がなくなってからしばらく後唐の支配下にあった四川を、孟知祥が再び独立させて作ったものです。
2. 政治のやり方と国の運営ぶり
前蜀
- 王建の時代にはしっかりとした政治が行われて、農業を支えたり税を軽くしたりしたおかげで、経済は順調に伸びました。
- しかし次の皇帝・王衍(おうえん)はぜいたくばかりして政治をおろそかにしたため、国はすぐに弱くなりました。
後蜀
- 孟知祥はむだを省いて実際的なやり方で政治を行い、短い間に秩序をとりもどしました。
- 息子の孟昶(もう ちょう)は最初はよく働いていましたが、あとになって豪華な宮廷生活に夢中になり、政治がゆるんでしまいました。
3. どのくらいの広さの土地を治めていたか、国の強さのほど
- 前蜀がいちばん大きかったころには、今の四川省全体に加えて、陝西省の南部や甘粛省の一部まで含む広い地域を治めており、十国の中でも特に力のある国でした。
- 後蜀はそれより小さくて、主に四川省とその周辺だけを支配しており、東は重慶、北は広元あたりが実際の限界でした。
4. どうして国が終わったのか、その経緯
| 項目 | 前蜀 | 後蜀 |
|---|---|---|
| 滅亡年 | 925年 | 965年 |
| おさえた国 | 後唐 | 北宋 |
| 主な原因 | 王衍の無能さと役人たちの腐敗 | 孟昶のぜいたくと軍の備えの甘さ |
- 前蜀はわずか18年しか続かず、後唐の軍にあっという間に攻められてなくなってしまいました。
- 後蜀は約31年間続きましたが、北宋の初代皇帝・趙匡胤(ちょう きょういん)が全国を一つにまとめようとする動きの中で攻められ、ついに滅ぼされました。
5. のちの世に残った文化の影響
- 前蜀では、王建のお墓「永陵(えいりょう)」に唐の時代の芸術や建物の特徴がよく残されています。
- 後蜀では、孟昶の妻・花蘂夫人(かずいふじん)が詠んだ宮中の歌「宮詞」や、中国で最も古いとされる家の入り口に貼る縁起物の対句「春聯(しゅんれん)」が伝えられています。
主な違いを一覧で
| 比べるポイント | 前蜀 | 後蜀 |
|---|---|---|
| 国を作った人 | 王建(唐末の武将) | 孟知祥(後唐の役人) |
| つづいた期間 | 907–925年(18年) | 934–965年(31年) |
| 政治の様子 | 最初はうまくいったが、すぐ悪くなった | 実用的だったが、あとでだらしなくなった |
| 滅びた理由 | 中の人がだめになった | 外からの攻撃と中の政治のゆるみ |
| 文化の特色 | 唐の文化を受け継いだ | 宮中の文学や春聯のはじまり |








