
昔の中国、特に秦や漢の皇帝のお墓には「機関術」と呼ばれる仕掛けがあったと言われています。
1. 『史記』に書かれたお墓の中の巧妙な装置
司馬遷が書いた『史記・秦始皇本紀』には、秦の始皇帝のお墓の中についてこんなふうに書かれています:
「令匠作機弩矢、有所穿近者輒射之。」
(職人に命じて自動で動く弓(いしゆみ)を作らせ、中に入ろうとする人がいればすぐに矢を放つようにした。)
また、こんな記述もあります:
「以水銀為百川江河大海、機相灌輸。」
(水銀を使って川や海を形作り、機械の力でそれを流し続けた。)
これらの文章から、秦始皇のお墓には人が近づくと自動で攻撃する装置と、水銀を循環させるための仕組みが備わっていたと考えられます。これはまさに昔の「機関術」と呼べるものです。
2. 調査で見つかった水銀の跡
最近の科学的な調べで、秦始皇陵の土盛りの周辺の土から、普通の土よりも数十倍から数百倍もの水銀が検出されました。この結果は、『史記』に書かれている「水銀で川や海を再現した」という話とよく一致しています。
ただ、お墓の中心部分(地宮)はまだ掘られていないので、自動で動く弓などの装置の実物は見つかっていません。しかし、兵馬俑が埋まっていた穴からは青銅でできた連弩(クロスボウ)が出てきており、秦の時代にはすでに高度な弓の技術があったことが確かめられています。
3. 漢の時代にも受け継がれたお墓の守り方
秦のあとにできた漢の時代でも、皇帝のお墓を守るための工夫がありました。『漢書』には「積石積炭(せきせきせきたん)」という方法が書かれていて、これは通路に石や木炭を詰めて盗まれないようにするやり方です。機械式の仕掛けではありませんが、お墓を守るための「工夫」として使われていました。
4. 結論:作り話か、それとも事実か?
- 水銀を使って川や海を再現したという点については、科学のデータと『史記』の記録がよく合っていて、実際にやっていた可能性がとても高いです。
- 自動で動く弓(機弩)については、直接の証拠はまだありませんが、当時の技術を考えると、まったくありえないとは言い切れません。
- こうしたことから、秦や漢の時代のお墓に何らかの「仕掛け」があった可能性は、文献と間接的な証拠の両方から見て非常に高いと言えます。
つまり、「機関術」は後の時代の人が考えた空想ではなく、古代中国の高い技術力と、お墓を守りたいという強い気持ちから生まれた、現実的な対策だったと考えるのが自然です。








