夏承焘と余嘉錫が『満江紅』の真偽を疑った核心的な論点とは何か?

夏承焘と余嘉錫が『満江紅』の真偽を疑った核心的な論点とは何か?

「怒髪天を衝き、欄に凭る処、瀟瀟として雨歇む」という書き出しで始まる『満江紅(まんこうこう)』は漢詩文が好きな人なら誰でも知っている有名な作品で、ずっと南宋の名将・岳飛が書いたものだと思われてきたけれど、二十世紀になってから中国の学者たちの間でこれが本当に岳飛の作かどうかについてとても激しい議論が続いており、最初に疑問を言い出した文献学者の余嘉錫(よかせき)とその後に論証を深めた詞学の大家・夏承焘(かしょうとう)という二人の研究者が提示した「偽作説」の大事なポイントを史料をもとにわかりやすく説明していく。

余嘉錫の考え:古い本に全然載っていないこと

一九三七年に出版された『四庫提要弁証』という本の中で余氏は二つの大きな問題を指摘していて、一つ目は岳飛が亡くなってから約三百六十年もの長い間、この詞が南宋や元代のどんな本にも全く出てこなくて、随筆や詩話や類書や金石録などあらゆる種類の文献を探しても引用されたり言及されたりした痕跡がどこにも見つからないので、こんなにすごい作品が本当にあったのなら同時代の文人たちが放っておくはずがないというのが余氏の一番の疑いだった。

二つ目の問題は岳飛の孫である岳珂(がくか)が祖父の遺稿を集めるために一生をかけて作り上げた『鄂国金佗粹編(がっこくきんたすいへん)』とその続編には岳飛の詩文や奏状や書簡がほぼ全部収められていると言われているのに、肝心の『満江紅』だけは入っていないということで、岳珂が活動していたのは岳飛の死からわずか数十年後で資料を集めるには最高のタイミングだったはずなのにこの名篇が完全に無視されている事実は、余氏にとって「どこから来たかわからないからすごく怪しい」と思うための十分な証拠になった。

そして余氏が最終的に出した結論は、この詞が文献上に初めて登場するのは明の弘治十五年(一五〇二年)に杭州の岳王廟に建てられた石碑であり、さらに嘉靖十五年(一五三六年)に徐階が編んだ『岳武穆遺文』にやっと収録されたということなので、つまりこの作品は数百年もの間ずっと埋もれていて明代の中期以降になってから突然世の中に出てきたものだということになる。

夏承焘の考え:書かれている内容がおかしいこと

「一代詞宗」と呼ばれるほど偉かった夏氏は余氏の文献学的なやり方を引き継ぎつつ、テキストそのものを分析することで新しい視点を付け加え、一九六二年に『浙江日報』に載せた「岳飛『満江紅』詞考弁』という文章でそれを発表した。

夏氏が特に問題にしたのは「駕長車踏破、賀蘭山缺(長車を駕して賀蘭山の缺を踏破せん)」という句で、なぜなら賀蘭山というのは今の寧夏回族自治区と内モンゴルの境目にある西の方の山なのに、岳飛の敵だった金(きん)の本拠地である黄龍府(こうりょうふ)は今の吉林省にあたる東北の方にあって、北伐の目標として西の賀蘭山を挙げるのは地理的にも軍事的にも全く筋が通らないからである。

さらに夏氏は本当の作者の候補として明代の弘治年間に活躍した武将の王越(おうえつ)を推していて、それは岳飛の敵が東北方向の金だったのに対して王越の敵は西方の賀蘭山方面にいる韃靼(だったん)であり、王越は実際に弘治年間に賀蘭山で韃靼に大勝した経験があって、当時の西北辺境では韃靼の侵攻によって民族意識が高まっていたという時代背景ともぴったり合うので、夏氏はあの時代に韃靼の脅威に直面していた文人や武将たちが民族的英雄である岳飛の名前を借りて敵への怒りを共有し士気を上げるためにこの詞を作ったのだろうと推測したのである。

二人の論証が持つ意味を整理する

余嘉錫は文献学や目録学という手法を使って宋元の文献に三百六十年もの空白があり岳珂の編纂集にも入っていないことを示し、夏承焘は歴史地理学や内容分析という手法を使って「賀蘭山」が岳飛の戦った方向と矛盾していることや明代の王越の戦歴と合っていることを示したが、この二人の論証はお互いを補い合う関係にあって、余氏が「いつどこに現れたか」という外部からの証拠を問い、夏氏が「何が書かれているか」という内部の証拠を分析したことで、偽作説は二つのしっかりした根拠を持つことができた。

反対意見と今の学界の見解

もちろんこの説に対しては鄧広銘(とうこうめい)や唐圭璋(とうけいしょう)といった人たちから強い反論も出ていて、彼らは岳珂が全ての遺文を集められたとは限らず岳飞の死後に遺品がバラバラになった可能性もあるし、「賀蘭山」は固有名詞ではなくて敵国の辺境を指す一般的な文学表現として「長安」や「天山」と同じように使われたと解釈できるし、詞の雰囲気も岳飛の他の作品である『小重山』などと通じるところがあると主張している。

今のところ学界ではこの問題は真偽が決まっていない学術的な課題だとされているけれど、余氏と夏氏が投げかけた疑いが完全に晴れたわけではないので、これからも議論が続いていくだろう。

おわりに:この論争から学べること

『満江紅』の真偽をめぐる問題は単なる作者当てゲームではなくて、文献学の厳密さと文学的伝承の力がぶつかり合う中国学術史の中でも象徴的な出来事であり、余嘉錫は「記録がないものは疑うべき」という文献学の基本を守り、夏承焘は内容を検証することで詞が明代の歴史的背景と合っていることを示した。