
歴史をたどると、主君や皇帝に逆らったとして「謀反」の罪で殺された武将がたくさんいます。中国では皇帝に背くことは許されない最悪の罪とされていて、日本でも主人を裏切ることはとても重い罰に値すると考えられていました。
中国の歴史で謀反とされて殺された武将
1. 韓信(かんしん)|前漢のはじめ
- どんな人だったか:楚漢戦争で劉邦が勝つのに大きな力を発揮した、頭のいい軍人。
- どうして殺されたか:天下がまとまったあと、その強すぎる軍事力が劉邦とその妻・呂后の不安を招き、「裏切ろうとした」と疑われて、蕭何の計略にはめられて長楽宮で殺され、家族も全員処刑されました。
2. 岳飛(がくひ)|南宋のころ
- 何をしたか:金との戦いで「岳家軍」を率いて、失った土地を取り戻そうと一生懸命に戦いました。
- なぜ亡くなったか:宰相の秦檜(しんかい)らが「証拠はないけど怪しい」という理由で謀反の疑いをかけ、牢屋の中で命を落としました。後になって名誉は回復されましたが、今でも忠義の象徴として多くの人に尊敬されています。
3. 藍玉(らんぎょく)|明朝のはじめ
- どんな功績があったか:徐達や常遇春と一緒に元の勢力を追い払い、明という国をつくるのに貢献しました。
- 粛清されたわけ:胡惟庸の事件のあと、政治的な掃討の一環として「裏切るつもりだった」と疑われ、一族そろって殺されました。
4. 李牧(りぼく)|戦国時代(趙の国)
- 活躍した内容:北方の匈奴を打ち破り、秦の軍にも何度も勝ちました。
- 悲劇の原因:秦の国の策略(離間計)によって「趙を裏切ろうとしている」と疑われ、趙の王・遷(せん)の命令で処刑され、その後すぐに趙は滅びました。
謀反とされる話によくある共通点
- あまりに優秀すぎて、主君に警戒される(功高震主)
- 権力争いの中で、でっちあげの罪を着せられることが多い
- 勝った側が歴史を書くため、本当のことが伝わらないこともある








