
蜀の丞相・諸葛亮が魏に攻め込んだ第一次北伐(228年)の中で、いちばん大事だったのが街亭の戦いで、この戦いに負けて諸葛亮の北伐の計画はうまくいかなくなってしまった。この勝ち負けを決めたのは、魏の将軍・張郃と蜀の参謀・馬謖のぶつかり合いだった。
街亭がなぜそんなに大事だったのか
街亭は今の甘粛省天水市秦安県の東南にあって、隴山の西側を通る道の要所だった。関中から隴右地方に行くにはこの道を通るしかなく、蜀軍が隴右三郡(南安・天水・安定)を自分のものにするためには、魏から来る援軍を街亭で食い止めなければならない状況だった。
そのため、諸葛亮は祁山に主力を向かわせながら、馬謖に5万人ほどの兵を預けて街亭を守らせることにした。
馬謖が犯した大きなミス
諸葛亮は「水のある近くの堅い場所に陣を張って、しっかり守るように」とはっきり指示していたが、馬謖はその命令に従わず、南山の高いところに陣を構えてしまった。
この行動にはいくつかの大きな問題があった。まず、水から離れすぎていて兵士たちが飲む水さえ確保できなくなった。次に、高いところから敵を攻めるつもりだったが、実際には逆に囲まれて動けなくなってしまった。さらに、副将の王平が「それはまずい」と忠告したにもかかわらず、それを無視して自分の考えだけで動いてしまった。
張郃が見せた落ち着いた対応
魏の将軍・張郃は馬謖の陣を見るとすぐに作戦を立てて、山の上には正面から攻め込まず、代わりに山のふもとをぐるっと囲んで水の供給を完全に断ち、敵が水不足で混乱するのをじっくり待ってから、ちょうどよいタイミングで一気に攻めて勝利をつかんだ。
つまり張郃は、兵を無駄にしないよう気をつけながら、相手の弱みを的確についた戦い方で勝ったということになる。
戦いのあとどうなったか
馬謖の軍は大敗して街亭を失い、諸葛亮は隴右三郡をあきらめて第一次北伐をやめざるを得なくなった。馬謖は戻ったあと、有名な「涙を流しながら処刑された」という話のとおり、命を落とした。このことで蜀漢はその後、隴右を取るチャンスを二度と手に入れられなくなった。
まとめ
街亭の戦いは、「本で学んだことと、実際に現場でやることのギャップ」をよく表している。馬謖は兵法の知識はあったけれど、いざというときうまく動けなかった。一方、張郃は長年の実戦経験をもとに、相手のミスをうまく利用して少ない損失で勝つことができた。








