魏武帝曹操の青州兵はどのようにして編成されたのか?

魏武帝曹操の青州兵はどのようにして編成されたのか?

魏武帝・曹操が天下を狙ううえでとても大きな力になったのが「青州兵(せいしゅうへい)」で、これはただの戦闘部隊ではなく、曹操の勢力を一気に広げるきっかけそのものだった。

青州兵とは?

青州兵とは、東漢の終わりごろ、192年(初平3年)に曹操が青州から来た黄巾軍の兵士たちを受け入れて作った精鋭の軍団で、黄巾軍の中から戦える体のしっかりした男およそ30万人を選び出して、自分だけの部隊として再編した。家族も一緒に連れてきたため、全体では100万人以上にもなったと伝えられている。

編成に至った流れ

1. 兗州への黄巾軍の進攻

192年、食べ物と住む場所を求めて青州黄巾軍が大勢で兗州(今の山東省西部)に押し寄せ、当時の長官・劉岱(りゅうたい)が迎え撃ったが負けてしまい、命を落とした。

2. 曹操が兗州を手に入れる

この混乱に乗じて、曹操は陳宮(ちんきゅう)ら地元の有力者たちの助けを得て、兗州のトップである「兗州牧」に選ばれ、初めて広い土地とそれを治める基盤を手に入れることになった。

3. 黄巾軍が自分から降伏する

曹操は戦いながらも、うまく交渉したり相手の気持ちを揺さぶったりして、同年12月には黄巾軍の主力が戦いで破れたわけでもなく、自分たちの意思で無条件に降参した(『三国志・魏書・武帝紀』による)。

青州兵の特徴と使い方

他の曹軍とは別に動いて独自の指揮系統を持っており、編成されてすぐ公孫瓚や陶謙との戦いに投入されて、これまでの実戦経験が役に立ったほか、戦わない家族たちは農作業に従事させられて、曹操が始めた屯田制度の土台ともなった。

青州兵の終わり

曹操が220年に亡くなると、青州兵は「これからまた世の中が乱れるだろう」と判断して自分たちで解散(「皆鳴鼓擅去」)し、跡を継いだ曹丕も追わず、故郷に戻ることを許したため、この部隊が曹操個人への忠誠だけで結びついていたことが分かる。

まとめ

青州兵の編成は、曹操が小さな勢力から中原で一番の力を持つ人物になる決め手となった出来事であり、戦える兵だけでなく人や物資も一度に手に入れたこの例は、中国の歴史の中でも珍しい「敵の軍をうまく味方にした成功例」と言える。