
蜀漢をつくった初代の皇帝・劉備(りゅうび)は、章武3年(西暦223年)に白帝城で病気になり、もうすぐ亡くなるというときに、自分の息子である劉禅(りゅうぜん)と、一番信頼していた家来の諸葛亮(しょかつりょう)にとても大事なことを伝えました。この出来事は「白帝城の托孤(はくていじょうのたくこ)」と呼ばれていて、中国の歴史の中でも珍しいくらい、主君と家来の間に強い信頼があった例として知られています。
劉備が劉禅に向けて書いた手紙(原文と現代風の言い方)
『三国志』の巻三十二「先主伝」には、劉備が劉禅に宛てた最後の手紙(遺詔/いしょう)が載っています。
原文(漢文)
朕初疾但下痢耳、後轉雜他病、殆不自濟。人五十不稱夭、年已六十有餘、何所復恨、不復自傷。但以卿兄弟為念耳。射君到、説丞相歎卿智量、甚大増過、於今亦可矣。恐後世難以逮之、勉之!勉之!勿以悪小而為之、勿以善小而不為。惟賢惟徳、能服於人。
現代風の言い方
最初はただの下痢だったけど、その後ほかの病気も重なって、もう助からないだろう。昔から人は50歳で亡くなっても「若死」とは言わないし、自分はもう60を過ぎているから、特に悔いもなく、悲しむこともない。ただ、お前たち兄弟のことが気がかりだ。射君(しゃくん)が来て、「丞相(諸葛亮)があなたの知恵と度量をすごくほめていて、前よりずっと成長したと言っていた」と教えてくれた。今のままでも十分だけど、あとに続く人たちがそれを超えるのは難しいかもしれない。だからしっかり頑張れ!
「悪いことでも小さなものだからといってやってはいけない。良いことでも小さいからといってやらないで済ませてはいけない。」
人に慕われ、従ってもらえるのは、賢さと心の高さだけだ。
諸葛亮に託した最後のお願い
劉備は劉禅だけでなく、諸葛亮にも大切なことを直接伝えました。『三国志』の諸葛亮伝によると、劉備はこう言いました:
「君の能力は曹丕(そうひ)の十倍もある。きっと国を安定させ、大きな仕事をやり遂げられるだろう。もし跡継ぎ(=劉禅)がまともに治められる人間なら、支えてやってほしい。でも、もし役に立たないと感じたら、君がその地位を引き受けてもいい。」
これを聞いた諸葛亮は涙を流しながらこう答えました:
「私は命をかけて忠誠を尽くし、最後まで国のために働きます!」
また、劉備は別に劉禅に命令を出して、「丞相と一緒に国を治めろ。彼を自分の父親のように大切にせよ」と強く言い聞かせました。
この出来事の意味と後の人たちの見方
劉備の最期の言葉は、ただ親としての気持ちを伝えるだけでなく、国の将来を考えての行動でもありました。
- **「小さな悪いことはするな。小さな良いことは見逃すな」**という教えは、今でも日本や中国でよく使われる言葉で、誰にとっても役立つ考え方です。
- 諸葛亮に「君が代わりになってもいい」と言ったのは、一見すると驚くような話ですが、実際には「本当に忠誠を尽くしてくれるか」を確かめるための言葉だったと考える人も多いです。
- 東晋の時代の歴史家・孫盛(そんせい)はこの発言を「国を混乱させる原因になる」と批判しましたが、結局、諸葛亮は一生を通じて劉禅を裏切らず、蜀の国を支え続けました。
まとめ
劉備が死ぬ直前に残した言葉には、父親としての思いやり、皇帝としての責任感、そして諸葛亮への深い信頼が全部入っています。








