
「貴妃」という言葉は、中国の歴史ドラマや昔の文学作品によく登場し、特に楊貴妃(ようきひ)という名前は日本でも広く知られていますが、この「貴妃」という位号や制度が最初に正式に使われるようになったのはどの王朝だったのか。
起源は南朝宋(420–479年)
後宮の中で「貴妃」という位号が正式な階級として定められたのは、南北朝時代に存在した「南朝宋」です。
具体的には、宋孝武帝が西暦456年(孝建3年)にそれまで使われていた「夫人」という呼び名をやめて、「貴妃」「貴嬪(きひん)」「貴人(きじん)」の三つを新しい「三夫人」として整えた改革の一環として、「貴妃」という位を新しく作りました。
『南史』巻十一には、殷氏(いんし)が初めて貴妃に任命され、その地位は朝廷で宰相(相国)と同じくらい高いものとされたと記録されており、これによって「貴妃」は単なる愛称ではなく、明確な役職のような意味を持つようになったのです。
唐代での貴妃の全盛期
その後、貴妃制度は唐王朝(618–907年)の時代に最も栄えました。
唐玄宗の治世では、後宮の順位が「皇后」の次に「四夫人」(貴妃・淑妃・徳妃・賢妃)が置かれる形となり、「貴妃」は四夫人の中で一番上、つまり皇后の次に偉い妃とされるようになりました。
この時代で特に有名なのは楊貴妃(楊玉環)で、彼女は皇后の座には就いていませんでしたが、皇帝からとても強く愛され、実質的には皇后と同じくらいの力や待遇を受けていました。ライチを専用の速足で遠くから運ばせた話や、『霓裳羽衣曲(げいしょうういきょく)』との関わりなど、その豪華な暮らしは今でも多くの人に知られています。
明・清時代:皇貴妃の登場と制度の定着
明代(1368–1644年)になると、「皇貴妃(こうきひ)」という新しい位号が生まれました。
1456年(景泰7年)に明代宗が唐氏を「皇貴妃」にしたのが、正史に残る最初の例であり、その後1476年(成化12年)に明憲宗が万貴妃(万貞児)を皇貴妃に立てたことで、この位号が制度としてしっかり定まりました。
清代(1644–1912年)には後宮の階級がさらにはっきり決められ、「皇后 → 皇貴妃(1人だけ) → 貴妃(2人まで)」という順番がルールとして決まり、皇貴妃は皇后がいないときに後宮全体を取りまとめる権限を持ち、貴妃はそのすぐ下の立場とされました。
歴史の流れをまとめると
| 時代 | 主なできごと |
|---|---|
| 南朝宋(456年) | 貴妃の位号が制度として正式に作られた(宋孝武帝) |
| 唐代 | 貴妃が四夫人の筆頭となり、楊貴妃などが事実上の最高位の妃となった |
| 明代 | 「皇貴妃」が新設され、貴妃よりも上位になった |
| 清代 | 皇貴妃(1人)、貴妃(2人)の人数が正式に決められた |







