太監は本当にいい人が一人もいなかったのか?歴史上、どんな優れた宦官がいたのか?

太監は本当にいい人が一人もいなかったのか?歴史上、どんな優れた宦官がいたのか?

「太監=悪役」という考えが広くあるけれど、これは必ずしも正しいとは言えない。中国の約2000年の歴史をたどると、国や文化のために大きな働きをした「優れた宦官」がたくさんいたことがわかる。

1. 蔡倫(さいりん):紙の発明で人類史を変えた宦官

時代:東漢(61年-121年)
主な功績:蔡侯紙の開発と普及

蔡倫は、当時使われていた高価な絹や重くて扱いにくい竹簡の代わりになる新しい紙を作った人物だ。彼が樹皮や麻くず、古くなった布、漁網などを材料にして作った「蔡侯紙」は、安く軽くて大量に作ることができたため、すぐに広まった。

この発明のおかげで、知識を書き残したり人に伝えたりすることがずっと簡単になり、中国だけでなく世界中の文明が大きく進んだ。そのため、蔡倫は今でも「四大発明」の一つである製紙技術を生み出した人として尊敬されている。

2. 鄭和(ていわ):七度の遠洋航海で他国と仲良くした使者

時代:明代(1371年-1433年)
主な功績:インド洋一帯への大規模な航海(鄭和の西洋下り)

鄭和はイスラム教徒の家に生まれたが、子どものころに明軍に捕らえられて宦官になった。その後、燕王(後の永楽帝)に仕えて信頼され、史上最大級の船団を率いてインド洋からアフリカ東岸まで7回も航海を行った。

彼は戦争を避け、交易や話し合いを通じて外国と良い関係を築こうとした。その平和的な姿勢と高い航海の技術は、今でも世界中で高く評価されている。

3. 高力士(こうりきし):唐玄宗に忠実に仕えた宦官

時代:唐代(684年-762年)
主な功績:韋后や太平公主の乱を鎮めて玄宗の政権を支えた

高力士は唐玄宗が皇帝になるのを助ける重要な役割を果たし、その後も長く皇帝の一番の側近として働いた。自分に与えられた力を私利私欲のために使わず、いつも誠実で落ち着いた態度を保っていたため、「千古の賢宦第一人」と呼ばれるほどだった。

玄宗の死を知ると、悲しみのあまり嘔血して亡くなったという話も残っている。その忠誠心の深さは、当時の文人たちからも敬意を払われていた。

4. 秦翰(しんかん):戦場で49ヶ所も傷を負った勇敢な宦官将軍

時代:北宋(952年-1015年)
主な功績:契丹や西夏との戦いで活躍し、国境を守った

秦翰は13歳で宮廷に入り、それから30年以上にわたって前線で指揮をとり続けた。契丹軍との戦いで数万の敵を倒す一方で、自分自身も49ヶ所もの傷を負うほど激しい戦いを経験した。

特に注目されるのは、戦で得た物や朝廷からもらった褒美をすべて部下の兵士たちに分け与えたという点だ。その清廉で思いやりのある態度のおかげで、兵士たちからとても慕われ、亡くなったときには将兵たちがまるで父や兄を送るかのように葬儀を行った。

5. 曹騰(そうとう):曹操の祖父で唯一「皇帝」として追号された宦官

時代:東漢(?-159年)
主な功績:四代の皇帝に仕え、有能な人材を多く推薦し、桓帝の即位を後押しした

曹騰は30年以上も宮中に仕え続け、一度も大きな過ちを犯さなかったことで知られている。自分の利益よりも国のことを考え、虞放や張温、張奐など多くの優れた人物を朝廷に登用した。

興味深いエピソードとして、彼を非難した益州刺史の種暠(しゅこう)に対しても「有能な役人だ」と評価し続けたことが挙げられる。その寛容さと人を見る目は当時から高く評価されており、孫の曹操が魏を建国すると、彼は「魏高帝」として追尊された。

結論

確かに、一部の宦官が権力争いの中で悪いことをした例もある。しかし、ここで紹介した5人のように、科学や外交、軍事、政治といった分野で大きな成果を残した人もたくさんいる。