歴史上で最も有名な丞相は誰ですか?彼は何をしたのですか?

歴史上で最も有名な丞相は誰ですか?彼は何をしたのですか?

昔の中国で皇帝を手伝って国の仕事を全部まとめていた一番偉い役人が「丞相」で、秦の時代にこの仕組みができてから漢や三国、唐、明の初めまで続いていましたが明の洪武13年(1380年)になくなり、今の首相や総理大臣のようなこのポストの中で時代や場所に関係なく一番有名なのが蜀漢で丞相をしていた諸葛亮(字は孔明)という人です。

諸葛亮が「最高の宰相」と呼ばれるわけ

諸葛亮(181–234年)の名前がこれほど特別なのは三つの理由があって、一つ目は歴史の本とお話の両方で主役になっていることで、陳寿が書いた『三国志』に伝記があるだけでなく明代の小説『三国志演義』でも「知恵の塊」として大きく描かれ、日本でも吉川英治の『三国志』や横山光輝の漫画、コーエーのゲームなどによって普通の人にも名前が広まっています。二つ目は「体がボロボロになるまで尽くして死んでからやっと休む」という忠臣のお手本になったことで、主君の劉備に対する真心と国のために命を使う姿が儒教の国々で1800年間も褒められてきました。三つ目は政治や軍事、技術、文章のすべてができたことで、ただの参謀ではなく法律を作ったり経済を管理したり外交や兵器の開発まで幅広く行った点が他の宰相にはない特徴となっています。

諸葛亮が残した主な仕事

① 隆中で天下三分の策を立てたこと(207年)

劉備が荊州の隆中(今の湖北省襄陽市)を三回訪ねてきた時に27歳の諸葛亮は、荊州と益州を拠点にして孫権と組んで曹操に対抗し、国内を整えてから機会を見て中原へ進むという計画を示しましたが、これがその後の蜀漢建国の基本方針になりました。

② 孫劉同盟を結んで赤壁で勝ったこと(208年)

曹操の軍隊が南へ攻めてきた時に諸葛亮は自分で呉へ行って魯粛や周瑜と協力して連合を作り、赤壁での大勝利によって曹操の統一計画を止めて三国鼎立の基盤を作りました。

③ 蜀漢ができて丞相になったこと(221年)

劉備が益州を取って皇帝になると諸葛亮は丞相兼録尚書事になって国の政治のトップとして法律や税金、官僚の組織を整えました。

④ 南中を平定して人の心を掴んだこと(225年)

劉備が亡くなった後に南中地方(今の雲南から貴州あたり)で反乱が起きると諸葛亮は自分で軍を率いて征伐に行き、首領の孟獲を七回捕まえて七回放したという話は武力で押さえつけるのではなく心を服従させるという統治の考え方を表していて、このやり方は後の民族政策にも影響を与えました。

⑤ 魏に対して五回北伐を行ったこと(228–234年)

「漢王朝をもう一度興す」ことを目標にして曹魏に対して五回攻撃をかけましたが、一回目の228年の街亭の戦いは馬謖の失敗で敗退し、二回目の228年から229年の陳倉攻撃は食糧不足で撤退し、三回目の229年の武都・陰平攻略では二郡を獲得し、四回目の231年の祁山周辺の戦いでは司馬懿と対峙したものの李厳の補給問題で撤退し、五回目の234年の五丈原では陣中で病死して享年54歳でした。戦略的な成果は少なかったですが小さな国の蜀が大きな国の魏に攻め続けられたことは諸葛亮の統率力を証明しています。

⑥ 内政や法制、経済、技術に貢献したこと

法正や劉巴らと一緒に『蜀科』という法律体系を作って厳しく公平な統治を行い、塩や鉄、蜀錦を国の管理にして北伐の資金を確保し、山岳地帯での兵站輸送を楽にする木牛流馬という運搬器具を作ったとされ、十本の矢を連続で撃てる連弩(元戎弩)を設計して軍事技術の向上にも役立ちました。

⑦ 『出師表』という東アジアに広まった名文を書いたこと

227年の第一次北伐の前に後主の劉禅へ出した『前出師表』には「鞠躬尽瘁、死而後已」という有名な言葉があり、南宋の陸游は「出師一表真名世、千載誰堪伯仲間」と讃え、日本でも漢文の授業で長く読まれてきました。

他の有名な宰相との比べ方

諸葛亮の知名度は別格ですが中国史には他にも大切な宰相がいて、秦の李斯は郡県制の導入や文字・度量衡の統一を主導し、前漢の蕭何は劉邦を支えて漢の制度を設計して「蕭規曹随」の典故になり、東晋の王導は「王と馬、天下を共にす」の門閥体制を確立し、北宋の王安石は青苗法や募役法などの熙寧の変法を推進し、明の張居正は一条鞭法で税制を簡単にして財政再建に成功しました。なお「丞相」という役職は明の初めになくなり、その後は内閣大学士や軍機大臣が実際の宰相の仕事を担当しました。

最後に

中国の歴史で一番有名な丞相は蜀漢の諸葛亮(孔明)であり、彼は隆中で天下三分の計画を示して赤壁で孫劉同盟を作り、蜀漢の丞相として法や経済、軍事をまとめて五回の北伐で漢室再興を目指し、五丈原で54年の人生を終えましたが、その生き方は「理想を持って限界を知りながらも全力を尽くす」人間の姿として東アジア全体で約1800年間語り継がれています。