
戦国時代に南方で力を持っていた楚国の中心だった都「郢(えい)」が今のどこにあるのかについて、現在の地名や考古学でわかっていることを使って詳しく説明していくので、歴史旅行の計画や勉強のための基本情報として活用してほしい。
答えは湖北省荊州市の紀南町が古い都の跡地
昔の楚のメイン都市だった場所は現在中華人民共和国・湖北省荊州市荊州区紀南町にあって、学問の世界では 「紀南城故址(きなんじょうこし)」 という名前で知られており国の大切な文化財にも指定されている。
- 遺跡の名前: 楚紀南故城
- 今の住所: 湖北省荊州市荊州区紀南町
- 近い街: 荊州古城から北へ約5キロメートルほど
- 大きさ: 周囲が16キロメートル以上で面積はおよそ16平方キロメートル
「郢」と「紀南城」という呼び名の違いについて
古い本にはただ「郢」と書いてあるけれど、今は場所の名前である「紀南」と区別するために「紀南城」と呼ぶのが普通になっている。
「郢」は一つの都市だけを指す名前ではない
楚は何回か都を移したけど王都全体を指す言葉として「郢」を使っていたので、次のように分けて考える必要がある。
- 紀郢(きえい): 紀南城のことで、400年近く栄えて一番勢いがあった頃の都。
- 陳郢(ちんえい): 秦の将軍白起に紀南城を落とされた後に移った新しい都(今の河南省淮陽区)。
- 寿郢(じゅえい): 最後の頃に遷った都(今の安徽省寿県)。
ふつう「郢都遺跡」と言うときは文化や政治の頂点にあった紀郢(紀南城) を意味している。
紀南城故址の見どころと学問的な価値
戦国時代の中国南部で最大級の都市計画を今に伝える大切な場所である公園内では、次のようなものを見ることができる。
- 土塁と濠跡: その頃の防衛ラインが良い状態で残っている。
- 宮殿基壇: 城内の北東側で大きな建物の礎石群が見つかった。
- 出土品: 漆器や青銅器あるいは竹簡などたくさんの資料があり、「越王勾践剣」などの国宝級宝物は荊州博物館で見られる。
- 水利施設: 高度な給排水システムを示す水門構造が残っている。
訪問時の注意: この遺跡はあくまで「土壁と礎石だけ」の考古学サイトなので、再現した建物や華やかな展示を見たいなら近くの「荊州古城」や「楚王車馬陣博物館」も予定に入れることを勧める。
現地への行き方と周辺の観光スポット
武漢からの日帰り旅行や短期滞在に向いているので、以下の移動手段を参考にしてほしい。
| 移動手段 | 経路・備考 | 目安時間 |
|---|---|---|
| 高速列車 | 武漢駅発→荊州駅着 | 1.5〜2時間くらい |
| 車・バス | 荊州駅から遺跡まで | 約30分 |
| 飛行機 | 武漢天河空港経由、荊州沙市空港利用 | 国内線接続あり |
一緒に訪れたい関連施設
- 荊州博物館: 紀南城からの発掘物を収蔵する必ず見るべきスポット。
- 熊家塚国家考古遺址公園: 楚王クラスの墳墓と実物大の「車馬陣」展示がある。
- 荊州古城壁: 明代に作られたものだけど、楚文化を受け継ぐ地として大切。
気をつけるべき誤情報としての宜昌説について
ネット上や一部の古い文献に「郢都=宜昌」とする記述があるけどこれは間違いである。
- 混同の原因: 楚初期の都「丹陽」が宜昌近くにあったとする説との取り違え。
- 確定したこと: 文王以降の成熟した王都「郢(紀郢)」は、発掘調査の結果荊州紀南城だと結論付けられている。
まとめ
- 郢都(紀郢)の痕跡は湖北省荊州市荊州区紀南町にある。
- 今の標準的な呼び名は 「紀南城遺跡」 である。
- 陳郢や寿郢といった他の遷都先と混同しないようにすること。
- 現地見学の際は荊州博物館に寄ることが欠かせない。








