関羽が麦城に敗走した時、赤兎馬は本当に絶食して死んだのか?

関羽が麦城に敗走した時、赤兎馬は本当に絶食して死んだのか?

関羽が荊州を失って麦城へと追い詰められた時、赤兎馬が食を断って果てたという話が、中国の歴史ファンの間で広く知られています。でも、この話の出典をきちんと調べると、正史『三国志』のどこを探しても該当する記述は見当たりません。

この物語の本当の出どころは、明代に羅貫中が書いた歴史小説『三国志演義』です。同書の第七十七回で、関羽が呉軍に捕らえられて斬首された後、赤兎馬は馬忠の所有になるものの、数日にわたって草も水も口にしなくなり、やがて命尽きたと描かれています。

正史『三国志』における赤兎馬の扱い

陳寿が編纂した正史『三国志』「関羽伝」では、赤兎馬に言及した箇所はごくわずかです。元々は呂布が乗っていた名馬であり、呂布が曹操に討たれた時に赤兎馬も曹操の手中に収まり、曹操は関羽にこの馬を下賜した——以上のように、この三点のみが記録されており、関羽の最期以降、この馬がどうなったかについて一切の言及がありません。

また、裴松之が注釈として引き合わせた他の文献にも、赤兎馬の末路に関する追加情報は見当たらないのが実情です。

演義が「飢え死に」の結末を付与した理由

羅貫中が赤兎馬に絶食という最期を用意した背景には、文学上の明確な狙いがあります。赤兎馬を関羽の忠義精神を具現化した存在として位置づけて主君への献身を際立たせ、名馬さえも主君の死に殉ずる描写により関羽の最期の悲壮さを一層引き立て、人と馬の深い絆を強調することで読み手の共感を呼び起こす——つまり、これらは文学的演出であり、史実とは区別する必要があります。

赤兎馬の末路をめぐる三つの見方

見方 概要 根拠
絶食死説 関羽の死後、食を断って命を落とした 『三国志演義』
戦死説 麦城の戦乱の中で斃れた可能性 推測(史料なし)
行方不明説 呉軍に接収され、その後の消息は不明 正史の沈黙からの推測

最も妥当な推測としては、赤兎馬が呉軍に接収された後、何らかの形で生涯を終えたものの、史書に記録されるほどの重要性を持たなかったという見方が考えられます。

まとめ

赤兎馬の絶食死は、『三国志演義』が生み出した文学的創作であり、正史に裏打ちされた事実ではありません。それでも、この物語が広く受け入れられた背景には、関羽と赤兎馬の間に人々が「主君と忠臣」の理想像を重ねてきた経緯があり、ですから、史実と文学を明確に区別しつつ、それぞれの価値を正しく理解することが大切です。