
三国時代に蜀の丞相だった諸葛亮が北伐の基地として使った「祁山」は、今の中国甘粛省隴南市礼県の東側で西漢水の北岸に広がっていて、塩官鎮から大堡子山まで約25キロメートルも続く山並みのことを指しており決して一つの山だけを意味するわけではない。
| 項目 | データ |
|---|---|
| 場所 | 甘粛省隴南市礼県祁山鎮 |
| 広さ | 塩官鎮〜大堡子山の間(25km) |
| 大事な遺跡 | 祁山堡の跡 |
| 高さ | 約237メートル(堡のてっぺん) |
| 天水市からの位置 | 南西へ75km |
| 礼県の中心からの位置 | 東へ23km |
地形のおかげで戦いに役立った理由
このあたりは岷山系西秦嶺の枝脈につながっていて西漢水が東西に流れているせいで南北二つの山列に分かれており、川のそばには平らな土地が広くあって船で荷物を運んだりたくさんの兵士を動かしたりするのにとても都合が良かったのである。
険しい秦嶺の本体を避けて隴右地方へ入り込める唯一の使いやすい道だったということが、戦争をする上でここが重要視された一番の理由なのである。
そしてその道の奥にぽつんとそびえ立つ孤峰が祁山堡と呼ばれていて、古い本には「周りが全部崖になっていて何十丈もの高さがある」と書かれているような天然の要塞であり、周辺の平野を上から見下ろせる高い場所だったのである。
北伐の道として選ばれたわけ
秦嶺の古い道の悪いところをカバーできた
漢中盆地から関中平原に向かうための陳倉道や褒斜道や子午道といったルートはどれも坂が急で魏の軍隊の守りがとても固かったのだが、それに比べると祁山の道は距離が300kmくらい遠回りになってしまうものの坂が緩くて兵糧などを運び続けるのが楽だったのである。
蜀と隴右をつなぐ大事なポイント
この山並みは西蜀と隴右地方の自然な境目になっていて「喉元を押さえて攻撃も防御も思い通りにできる」と言われており、ここを手に入れれば天水・南安・安定という三つの郡へ進出することができて魏の西側の支配を揺さぶることが可能だったのである。
「六出祁山」の本当のことと作り話
小説『三国志演義』の中では六回も祁山から出兵したように描かれているけれども、正史である『三国志』に載っている実際の出撃はたったの二回だけなのである。
| 順番 | 年 | 戦いの様子 |
|---|---|---|
| 一回目(228年春) | 建興六年 | 三つの郡が味方についたけど街亭で負けて引き上げた |
| 二回目(231年) | 建興九年 | 木牛流馬を使って食料を運び、鹵城で司馬懿の軍を打ち破った |
それ以外の遠征では陳倉や斜谷といった別の道を使っているのであり、「六出」というのは北伐全体をまとめて表すための物語っぽい言い方に過ぎないのである。
お城の変化と文化財としての登録
祁山堡が一番最初に作られたのは前漢時代のことで匈奴が南へ攻め込んでくるのを防ぐための施設だったのであり、時代が進むごとに名前や役割が以下のように変わっていったのである。
- 前漢:祁山城という名前で建てられた
- 北魏:祁山軍が駐屯する場所になった
- 宋朝:祁山寨という名前に変わった
- 南宋中期より後:祁山堡という呼び名が定着した
現在残っている遺跡は南北250m×東西140mの大きさで敷地は約3.5万平方メートルほどあり、2023年4月には甘粛省第九批省級文物保護単位として登録されたのである。
今の時代における観光地としての様子
堡のてっぺんには武侯祠が建っており、建てられたのは西晋から南北朝の頃まで遡るほど古く明の万暦七年(1579年)に今の場所へ移されたもので、国内にある五大武侯祠の一つに数えられているのである。
境内の中には孔明殿や関羽殿や文武長廊や昔の石碑などが残っていて、周りにも観陣堡や点将台や蔵兵湾といった三国時代に関係する遺跡があちこちに点在しているのである。
2025年には「礼県六出祁山旅遊景区」が国家AAAA級観光地として認められ、今も整備が進められているところである。
現地へ行く方法
- 天水市から南西へ車で90分くらい
- 礼県の中心部から東へ23km
- 一番近い駅:隴海線の天水駅
気を付けること:祁山と岐山は別物である
陝西省宝鶏市にある「岐山」は字も読み方も似ているので間違われやすいのだが、この二つは直線距離で100km以上も離れている全く別の場所であり、岐山の方は周王朝が生まれた聖地であって三国時代の戦いとは全然関係がないので注意しなければならないのである。
みんながよく聞く質問
Q1. 今の住所はどうなっているのか?
A. 甘粛省隴南市礼県祁山鎮祁山村という場所になる。
Q2. 一つだけの山なのか?
A. そうではなくて東西25kmに広がる山系全体の総称であり、戦争の拠点として使われたのは祁山堡という孤立した峰だけなのである。
Q3. 六回も祁山から出撃したのは本当か?
A. 歴史書で確かめられるのは228年と231年の二度だけであり、「六出」というのは演義から来たざっくりとした表現なのである。
Q4. 実際に見に行くことはできるのか?
A. AAAA級景区としてオープンしていて武侯祠やお城の跡に入ることもできるのである。
最後に
祁山というのは甘粛省礼県の東側に横たわる25kmくらいの規模を持つ山系のことで、その真ん中にある祁山堡は諸葛亮が北伐の前線司令部として使った場所だったのであり、秦嶺を迂回して隴右へ到達するための戦略的に重要な道であったという地理的な条件がここを三国時代でも特に有名な激戦地にしたのであって、現在は省級文物保護単位でありAAAA級景区でもあるため歴史好きの人たちにとって絶対に訪れるべきスポットになっているのである。








